【住吉神社 令和5年大祭 本祭三日目 -2023年8月6日-】宮神輿宮出し、船渡御、宮神輿町内巡行、宮神輿御旅所渡御、子供神輿・山車巡行

宮神輿宮出し

八角神輿を担ぐ今年「年番」の住吉講壱部

大祭三日目、この日いよいよ宮神輿である「八角神輿」が宮出しされます。今年の年番は住吉講壱部です。朝6:00からにも関わらず、たくさんの人が宮出しを見ようと集まってきていました。

最初に住吉神社の宮司による出社祭が行われ、八角神輿の巡行が安全に成功するように祈願されます。

その後、赤い鳥居の下で待ち構える住吉講壱部の若衆に赤旗が振られ、全員が一斉に駆け寄り、掛け声と共に宮神輿は担がれます。ここで、佃祭特有の神輿の担ぎ方と掛け声を見ることができます。

担ぎ手たちは「オリャ、オリャ」という独特なかけ声を発しながら神輿を担ぎます。一説によると、「オリャ」とは「俺は、俺が」という意味があるそうです。それに対して「ワッショイ」の語源は「和を背負う」。「オリャ、オリャ」は「俺に任せろ」「俺が担いでやる」という強い自信の現れでもあるのです。この祭りは漁師の祭りが起源。波が荒れ、船が揺れることを連想させるため、神輿は決して上下に揺らすことはありません。この独特の担ぎ方は「佃担ぎ」と呼ばれます。地面すれすれまで神輿を下げる「もむ」という所作の後、神輿を一気に天に突き上げる「さす」という所作が行われます。諸説ありますが、「もむ」とは神輿を水へ浸し清める意味を持ち、「さす」という行為は神をより高く捧げることにより日常の敬神の念を表す最高の敬礼作法であるという説もあります。
詳しくはこちらから特設ページを確認ください。
「さすぞー」の掛け声で、一斉に担ぎあげ、神輿を天高く「さす」という所作
全員で姿勢を低くし、神輿を地面すれすれまで落としながら、揺らす「もむ」という所作

船渡御

佃祭の歴史は古く、昭和37年(1962)までは海中渡御が行われていました。水位が高くなり、海中渡御ができなくなったことを機に、船渡御が始まり、今では船に宮神輿を乗船させ、佃・月島・勝どき・豊海・晴海の氏子町内を一周します。

乗船場まで、階段や細い道もあり、そこに最新の注意を払いながら、宮神輿を運び込みます。出船場にもたくさんの人が押しかけ、船に乗り込んだ宮神輿を拍手で見送ります。

宮神輿巡行

船渡御を終えた宮神輿は年番である住吉講壱部から町内巡行を行います。この日もかなりの猛暑で、担ぎ手の体調が心配されます。しかし、心配ご無用。佃祭の風物詩でもある「水掛け」が行われます。汗だくになりながら、必死に担ぐ男たちに沿道から水を掛けて応援します。神輿も担ぎ手もびしょびしょになりますが、水掛けで涼を得ると、また掛け声が一層大きくなっているように感じます。

また、婦人部のお姉さん方のサポートも欠かせません。担ぎ手のそばを片時も離れずに給水を行います。男たちは「婦人部のお姉さんの支えがなければ、準備作業も本祭も円滑に進めることはできない」と口を揃えて言います。

宮神輿巡行の際も、亡くなられた方々に祭りに参加していただくために、遺影を掲げて神輿を待ちます。今回はコロナの影響もあって5年ぶり。参加者・過去の先輩方が一緒になって祭りの開催を喜びます。

宮神輿御旅所渡御

住吉講壱部、弐部、参部の順で町内巡行後、勝どきの御旅所へ発輦します。一緒に祭りを盛り上げる連合睦会の方々も八角神輿の渡御を喜び、盛り上げます。

たくさんの人が八角神輿を一目見ようと集まっていました。神輿を担ぐ住吉講の「オリャ、オリャ」の声に合わせ、集まった人たちは手を叩きます。町が一つになり、祭りの開催を喜んでいました。

御旅所では連合睦会が沿道に並び、宮神輿を迎え入れます。宮神輿は連合睦会に預けられ、御霊を乗せた宮神輿は一晩、この御旅所で過ごした後、睦会の町内を巡行します。

子供神輿・山車巡行

御旅所に宮神輿を納めた後は、子供神輿と山車の時間です。この日は夕方からあいにくの雨でしたが、どうせ水掛けで濡れた後です。雨の中でも子ども達は立派に「オリャ、オリャ」の掛け声と共に子供神輿を担ぎあげていました。

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